共感は欲しいものです

共感の履き違えは注意

日常の良くあるある話において、他人と話すと共感を得られるということがあるのは嬉しいことですよね。自分だけが思っていることではないんだと、共感を得ることで特定の意見に対して強い自信を持つことが出来るので作用としては良い傾向だと考えても良いでしょう。それは引いていえば、自分が考えていることがマイノリティということではないという認識を強める形となって、その後の自分が取るべき行動に自信を持って移すことができるということが一番良い傾向だということでしょう。

でもこの共感というものを少し誤解しているのではないのか、と思うときがあります。それこそ先の日常の一コマで何か面白いことをして目立ちたい、といった行動を起こしたいけど自分にそんな恥ずかしいマネはできないと思いとどまっている人が同様の行動を起こしている人の投稿を見て自身をつけるということです。原理としては確かに性質上同じだといえます、しかし次にどうするべきかという方向性を完全に誤ってしまう危険性があるということです。正直な話、こういったtwitterの投稿問題はニュースで報道されている以上に、問題となっている画像投稿は氷山の一角と言えるでしょう。手軽に行えるということで軽率に行なっている人も多くいるでしょうが、度が過ぎた行動記録が漏れて拡散してしまった、それが何かこんなことをしたいと考えている人に悪影響を及ぼす一因となってしまったというのもあながち否定できない問題であるといえるでしょう。

これらが全ての原因とは言えないですが、そもそもこうした悪ふざけをするということでなにかしら人様に迷惑を掛けるという事になれば、それだけで不評を買います。褒められるということはまずないです、勘違いしている人もいると思いますがこれを間違いだと認識していないということも一つの恐怖となってしまいます。

つぶやいてる?
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共感から生まれるいじめ

twitterのみに限らず、SNS全体の問題点として上げられているネット内のいじめ問題もこの共感がもたらす副産物といえるでしょう。特に友人達のみで築いているコミュニティ内で特定の個人に対して攻撃的な意見を出している人がいたりします。それに対して所属している人がもしも全員共感するようなことになれば、そこでその個人に対しての中傷が行われるようになります。ネットの世界における恐怖というので、こういったいじめが露見しにくいということもありますが何よりこのいじめというものが閉鎖的な環境で行なわれていればまだましであると考えるべきかもしれません。

いじめ自体は確かに問題がありますが、このいじめというものがサークルで形成されているとある一箇所ネットから逸脱して、全体的なところに拡散するようなことになればその内容に対して悪乗りして状況を悪化させるようなことにもなったりします。今はパソコンの技術や人の噂や情報をかき集めるということを熟知して、その行動を行える人であれば特定個人の情報を集めてネットに公開、それはいじめ本人だけでなく、関係のない家族にまでその矛先が向けられることもあるのです。

共感とは確かに便利なものです、これはある意味では自分の自己満足でしかない優越感にも似た満足感を与えます。日々飢えている空腹感が満腹になるように、自分のしていることは間違っていないんだと思い込んでしまうこともあるわけです。いじめをすることは正当化されて当然であると誤認識してしまうと、その行動がエスカレートするのは当然のこと。自分がしていることは正義の名の下に、大げさかもしれないが自分は何も間違っていないと誤解して都合の良い大義名分を掲げて、相手を攻撃するということ。本物の戦争などでいうところの虐殺といって良いでしょう。行動しているときこそ絶対だと信じて疑わないけれど、後から取り返しの付かないことになれば急速にその熱は引いていきます。

その後にそんな暴君のような振る舞いをおこしていた人を誰がかばうというのでしょうか、首謀者だけが全て悪いとして便乗していた人間は我先に関係無しといわんばかりに逃げるでしょう。その中にいじめを率先していた張本人を擁護する人なんていないものだ。結局は皆自分が可愛いだけで、他人が落ちていくところに巻き添えになるのはごめんだ、と考えているわけだ。一つの共感から生まれた認識は自分の人生を破綻にまで追い込んでしまう、それも自分自身の手となれば誰かに責められるものでもない。最後は自分が罪を償う結果になってしまうということにもなってしまうわけだ。

つぶやきのために生きる!
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その動力を生きる活力へ

いじめというのは規模によらず、誰しも意外と経験しているものだと私は考えている。この記事を書いている私もいじめを経験しているが、まだこの頃はネット環境がそこまで普及していなかったこともあって、現実的な問題だけに留まっていた。私が中学生の頃に経験したのは徹底的な私個人に対しての中傷だった。肉体的な暴行こそなかったものの、言葉で節々にいたぶられていたので当時はかなり堪えたものだ。本来ならここでいじめられっ子らしく黙って受けているというのが本来取るべき行動なのかもしれないが、私はいじめというものをされたらその分、先生に報告するということを行っていた。それがいじめっ子をより刺激することにもなるわけだが、私は止めようとはしなかった。その結果としていじめっ子の親にいじめの事実が知られることにもなり、またその仕返しとしての行動でやり返したときにはいじめっ子が強制的に帰らされるということもあったものだ。

あの頃のことを考えると、確かに私にも悪いところがあるのかもしれないが今考えるとそれが人間としてしょうがないことだと割り切って考えられる。自分と合わないからといって文句が通じるほど社会とは甘いものではない。そういうことを考えると学校生活というものは色々濃い体験が出来る場所であるといえるではないでしょうか。

いじめを体験したら心に傷を残すといわれいるが、私は少々楽観的というか開き直りで前向きな性格しているためか、途中で学校から逃げる様に帰ることはしたことはあるが、その次の日には当然のように登校していた。こう考えると、この頃から私個人の本質は何も変わっていないということになるかもしれない。そのため、いじめこそ経験しているが不登校や引きこもりということは経験したことはない。私個人の性質という問題が起因しているのかもしれないが、私はむしろいじめというものを経験して、いじめに対しての恐怖を感じることに薄くなった。何故かというと、この時には私をいじめていた首謀者を始めとした複数人いたが、首謀者を除いた一人だけむき出しに私を敵視していたが、それ以外の人間は首謀者をかばうような素振りを見せずに関係ないという態度を取っていたのだ。これこそ共感がもたらす副産物だろう、あいつが嫌いだと賛同していじめを行なっていたにも関わらず事が大きくなって、学校に知られるようなことになった瞬間いじめに参加していた人間が次から次へと離れたのだ。共感動いていたはずなのに、それはほとんど面白おかしく日々の日常を過ごすための遊びとして認識していただけに過ぎなかったのだ。共感する事は簡単かもしれないが、結局それに対して同じ意思を持っていると表明してもその場限りでしかないということだ。

一番大きい問題が起きてから卒業までの半年間、アレほどしつこかったいじめもいつの間にか受けなくなった。これ以上はまずいと思ったのだろう、撤退姿勢となって保守的になっていたのも頷けるものだ。進路という問題にも差し障っていたため、なおのことだったのかもしれないが。

共感するということは大事なことかもしれないが、その感情は出来るなら自分が今後生きていくための活力としていくべきだと私は考えている。悪いことに対して共感を覚えるより、共感を覚えるけど自分ではこんなことは絶対やらないようにする、自分の考えは間違っていないと思うけどそれは本当にそうなのだろうか、と狭義な世界では認められる主張も全体的な目で見たときにそれは本当に受け入れられるものなのだろうか、と違う視点での意見も受け止めるようにする。社会で生きていくためにはこれは必要不可欠な適応能力ではないだろうか。簡単にできるものでもない、私もそこまで器用なことが出来るわけでもないのでなんとも言えないが、共感を得るということでそれが自分という人間を成長させる活性剤としていくべきだろうと思う。

つぶやかずに、街へ出よ!
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